クライアントの声

家庭教育推進協会のクライアントの声

家庭教育推進協会は2010年に設立され、それ以降たくさんの不登校や引きこもりの子どもたちやご家族を支援してきました。

小学生から高校生まで、クライアントの年齢層が幅広いのも家庭教育推進協会の特徴ですが、学年が違うとお悩みやお子さんの状況も様々。対応時に注意するポイントなども変わってきます。

このページでは、過去に支援させて頂いた親御さんの声をまとめています。

小学生

小学1年生・男子

不登校の子ども

幼稚園の頃から甘えん坊で、登園時の別れ際もいつもグズグズしていたので、「学校行きたくない」と言われたときは、やはりそうなったか・・・という気持ちがありました。そして、このままではまずい、と、インターネットで情報を必死で探し、家庭教育を知ることで良かれと思っていたことが実は長男の成長を妨げていたことにショックを受けました。

不安でたまらなかった私にとって、支援開始までの迅速な対応が本当にありがたかったことを覚えています。毎日メールで会話ノートを送る家庭教育支援を始めました。我が家は夫婦ともに先回り過保護・過干渉だったため、母性対応、父性対応、役割分担を特に意識しました。

長男に対するかかわり方を変え始めた当初は、長男も戸惑い荒れていましたが、数日間で目に見えるほどの変化があったため、やはり間違いないと、死に物狂いで頑張ろうと決意を新たにしました。子どもと接する時間が長い母親の比重が多くなることは当たり前なのですが、私ばかりが頑張って夫との熱量の差にイライラしたこともありましたが先生が親身に根気強く私のグチを聞いてくださり、また、その的確なアドバイスに何度も救われました。

そして3ヶ月経った頃、ついに自力で登校できるようになりました。その日の朝、ドキドキしながら無事に登校を見届けた時は夫と2人、感無量でした。

登校渋りから家庭内対応のみで登校できる状態にまで戻ることができたのは、初期段階で本当に運よく家庭教育推進協会に巡り合えたこと、様々なことが重なったと思います。

これからは情報発信をしたり家庭教育相談士の資格を取ることで自分の経験を「恩送り」という形で活かしていくつもりです。家庭教育推進協会スタッフの皆様に感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

小学5年生・女子

家庭教育で再登校する女の子

あれは忘れもしない五年生の夏休みも後半に入った頃、朝になるとソファーで固まり、泣いて動けなくなりました。そして、あっという間に完全不登校になってしまいました。

病院で異常なしと言われても、娘の止まらないゲップに何か隠れた病気があるかもしれないと思い込んだ私は、娘の具合が治れば学校に行けるのだと思い、必死で病院に通いました。

病院通いは散々でした。検査に行く為に車に乗れば、車酔いが怖いと過呼吸のようになり、医師とも話そうとしない娘は、社会性がないと言われ、カウンセリングを受けるよう言われました。しかし、娘はカウンセリングどころか暴れるように泣き、どうすることもできませんでした。

今思うと、幼い頃から手のかかる娘に、面倒なことが起こらないよう未然に防ぎ、泣いた時には機嫌をとり、そんな私との苦しい親子関係も限界だったのだと思います。この問題が、病院では解決できないということに気がつくには時間がかかりました。

娘が病気ではないとわかり、私にできることは何もないと途方に暮れる毎日でした。私自身も布団から出る気力さえなくなりました。不登校とは、そこまで深刻な問題なのだと改めて思います。

そんな鬱状態になりかけている自分にも嫌気がさし、何か解決する方法が見つからないだろうかと思い直し、やっとの思いで、不登校の経験をした方の講演を聞きに行きました。学校には無理して行かなくて良いという考えの方でした。その方の話を聞き、無理に学校に行かせる必要はないのだと安心しました。

しかし、数日経過してみると、本当にこれで良いのかという迷いが出てきました。なぜなら、娘は「自分だけこんな風になってしまって死にたい。」などの発言が出るようになり、幼い頃から悩んでいた癇癪もひどくなっていったからです。

ネットで家庭教育支援を受けた方々のブログを見つけました。どれも夢みたいな話で、こんな風に学校に行けるようになったら、うちの家族はどれだけ救われるだろうと感じました。

相談する時には、過保護・過干渉をしてしまっていたことを非難されるだろうなという思いがありましたが、非難されるどころか真剣に話を聞いてくださり、時には優しく語りかけてくださいました。

今、相談しようか迷っている人や、私は地方に住んでいるから無理だと思っている人がいるなら、決して諦めず、行動してほしいと思います。

家庭教育の考え方や家族療法の理論は、とても納得いく事ばかりでしたので、すぐに実行することにしました。あまりにも変わりすぎる私に、娘も最初は反発もありましたが、少しずつ慣れていったのではないかと思います。先生方はいつも全力で対応やプランを考えてくださり、私の心を支えてくれていたので安心して家庭教育を実践できたと感じています。

子どもってこんなにも変われるのだなと日々の成長にびっくりしております。

娘への対応に十年間悩みながらも、誰に相談してもわかってもらえないだろうと諦めていた私にとって、娘の不登校は必然的だったのではないかと思います。

どん底ながらも、諦めずに家庭教育にたどり着いた事、本当に良かったと思っています。

小学5年生・男子

家庭教育で不登校も解決

息子が小学校5年生の夏休み明けに体調を崩し学校を休み始めました。

小児科、眼科、整形外科と毎日息子の訴える症状に応じて病院で診察を受けましたが、どこにも異常はありませんでした。

どうしたら良いのかわからず、毎週親子で心療内科に通いました。

しかし、1週間に2.3日の別室登校がやっとでした。

「新学期になったら」「進級したら」今度こそ行けるのではと期待しましたが、6年生の始業式から行けず、完全に不登校になりました。

私の精神状態も限界が来ていました。

心療内科の医師に、いつになったら学校に行けるようになるのか問い詰める様に聞きましたが、帰ってくるのはいつも通り「待ちましょう」でした。

いったい、いつまで待てば良いのか、絶望しました。

通院を辞め、膠着状態になった時、不登校のお子さんをもつ知人から「学校へ行く年齢のうちは不登校だけれど、卒業する年齢になると引きこもりと呼ばれるのよ」と言われ、愕然としました。

不登校を甘く見ていました。絶対に息子を引きこもりにしたくありませんでした。

気がつくと8か月が過ぎていました。

何かアクションを起こさなければ絶対に解決出来ないと思いました。

そして、家庭教育や親の学びに出会い大きく変化していきました。

それまで頼りにしていたスクールカウンセラーも心療内科医も不登校の専門家ではありませんでした。

支援を受け、3週間後の再登校の日、ついに教室に入り、クラスメイトとともに過ごす事ができたのです。

小学校の先生からも「不登校だったとは思えない、友達と笑顔で話していました」と連絡をいただきました。

こんなに嬉しい事はありません。

その後も問題が起きる度にご相談をし、アドバイスをいただいています。まだ、親として十分とは言えませんが、家庭教育を学んだからこそ今の幸せがあるのだと痛感しています。

昨今は、学校以外の学びの場や様々な支援がありますが、復学により、親も子も幸せになる事が出来ると思います。

息子の笑顔が答えです。

昼間にひとり過ごす窓から見える見知らぬお子さんにも、頑張って!元気でねと思える程になりました。

支援の先生や私を支えてくださった多くの方々に心から感謝しています。

小学6年生・女子

家庭教育で不登校を解決した母子

娘は、小6の秋から五月雨登校になりました。その後、あっという間に不登校になり、卒業式にも出ることなく小学校を卒業しました。家庭教育推進協会の坂下先生に電話やメールでご指導いただきながら復学を目指すことになりました。

中学の入学式当日は、不安と期待が入り混じる、なんとも重苦しい気持ちのなかで迎えましたが、坂下先生が、親の取るべき行動や心構えを具体的にメールで指示してくださっていたので、落ち着いて行動することができました。そして、ご支援のもと、娘は無事、入学式から復学を果たすことができました。

問題が発生するたびに、わたしは、娘を勇気付けて背中を押したり、あるいは「見学してもいいんだよ」「先生に聞こうか?」「手伝おうか?」等のことば掛けをして目の前の問題を解決したくなりました。

ですが、坂下先生からは、子どもの不安な気持ちに「共感」しつつも「子どもを信じて見守る」対応を教えていただきました。親が手出し口出しを控え、「信じて見守る」ことで、子どもは自分の頭で考えて行動するようになり、その結果、成長する。そう頭で理解しても、実際に見守る対応をするのは、とても苦しく不安で難しいことでした。

耐え切れずに手出し口出しをして失敗することもたくさんありました。でも、失敗したら、次こそは見守る対応をしよう、と決意しました。そのような対応の積み重ねで、娘は、この1年間、葛藤しながらも全ての学校行事や課題を乗り越え、その体験のぶんだけ強く大きく成長することができました。

毎日が親の対応を迷うことの連続でした。その度に、坂下先生にご相談し、適切な対応を的確に教えていただきました。また、子どもが家庭内で大荒れしたときには、休みの日でもすぐにメールで対応していただき、坂下先生の存在はとても心強くありがたいものでした。

我がまま気ままで、ストレスに弱く、自尊心が低い一方で、融通の利かない完璧主義だった娘が、この1年間で徐々に変わってきたのも確かです。ゼロか100かの完璧主義だった娘が、完璧にできなくても、「まあいいか」「なんとかなる」と考えられるようになってきました。

以前は蚊の鳴くような声でしたが、お店や病院で受け答えする声が、30倍大きくシッカリしました。探し物を親に頼らず自分で見つける(あるいは見つからなくても諦める)ようになりました。授業内に仕上げられなそうな課題があるときは、自主的に家に持ち帰って作業を進めるなど、先の見通しを立てて計画的に取り組めるようになってきました。以前は勉強やその他の作業でも、ちょっと間違ったりわからなかったりするだけで、イライラして破いたりわたしを叩いたりしていましたが、そのようなこともずいぶん減り、家庭教育の大切さを実感しました。

この文章が、今はまだ、深い悩みや苦しみの最中にいらっしゃるどなたかのお役に少しでも立つことができれば幸いです。

中学生

中学2年生・女子

不登校で学校に行きたくない子ども

物心ついてから低学年頃まで、普段は穏やかなのですが、思うようにいかない時や何か困った事があった時に、口が重く気持ちを言えなくて泣き叫んで暴れたり、外に裸足で飛び出して行ったり等気持ちのコントロールがうまくできず、そのたびに子育ての難しさを感じていました。

その頃私は、フルタイムで働き毎日くたくたに疲れ娘とゆっくり関われる時間はあまりありませんでした。

娘への接し方は普段関われないこともあり母と二人で機嫌をとったり、行動ひとつひとつに心配して困らないように先回りして口出ししたり、主人に「自分で考えさせろ。」と言われても親切心から娘が考える前にヒントや正しい答えを出してしまったり、言葉で主張することが苦手な子なので娘が言う前に気持ちを察してあげたりしてしまいました。

薄々このやり方は何かが違うと思いながらどうしてよいかわからず過ぎていきました。

時々起こる娘の困った行動は、普段の娘の穏やかな姿からは誰も想像できず、相談しても「親の背中を見て育っているから大丈夫」と言われました。しかし、ずっと心に引っ掛かる不安がありました。このままではもしかしたら娘は大きくなったとき何か問題を起こすのではと嫌な予感がしていました。そして中1の秋に不登校になりました。「そう来たか・・」と思いました。

そして、子どもの気質と、これまでの子育てが自己主張、自己決定できない主体性の低い受け身な子に育ててきてしまったことに、家庭教育を学び始めてから知りました。

中2年の4月に復学をし、中3になり登校も安定し慣れてきた頃、高校受験を控え危機感のない娘の思わしくなかった定期テストの結果に焦りが出て余計な口出しをしてしまいました。

少し感情的になり娘の問題にぐいぐい入り込んでしまいました。そのときすでに復学支援は終了していたので、居ても立ってもいられず坂下先生に相談をしました。「娘の人生は娘のもの」と厳さの中にも、私の気持ちも汲み取ってくれながらアドバイスして下さり冷静になることができました。

それからは、勉強に対しての口出しは極力避け娘に任せ、塾を続けて休んでしまったときには「この頃、休みが続いているよ。」と警告し、何か聞いてきたときは相談に乗り見守ってきました。

他の子と同じように受験を受けることができ本当にありがたく思います。

もう決して戻りたくありませんが、あの日あの時どんな日もあってよかったと今は思えます。そのおかげでいろいろな人に出会いたくさんの事を教えてもらいました。不登校はとても辛い経験でした。しかし、このことがなければ大切なことに気づかずに過ぎてしまったかもしれません。

私は「一人っ子だから」と周りから言われることに少し抵抗があります。しかし、子どもが一人しかいないことでどうしても目が行ってしまいます。

期待をしました。心の中で他の子と比べ羨ましく思ったこともありました。心配性で先回りもしてきました。子供は大きくなったのに、私の対応はいつまでも小さい時のまま成長していませんでした。不登校になったことで家庭教育に出会い、こんな私に娘が変わるきっかけをくれたのだと思います。

問題が起こったことで、「私がかわらなくちゃ」と学ぶうちに、娘の苦しさは本当は「私自身の苦しさ」でもあったのではと感じ、私たち親に似ている部分もあるけれど、娘は違う人格を持った一人の人間であること、「娘は娘」「私は私」と切り離して考えられるようになってきました。

苦しくて娘を遠ざけたい日々もありましたが、今は親子関係も良く、家庭の中も元のように明るくなりました。

大変な思いはしましたが、今やっと人並みに子育てをしている実感が湧いています。

こんな風に私の気持ちにゆとりが持てるようになったのも、毎日元気に学校へ通えているからです。学校生活の小さな日々の積み重ねで娘の心も体も少しずつたくましくなってきました。

当たり前にある、平凡な日常のありがたさが身に染みてわかります。

私たち親子にかかわってくれたすべての人に感謝します。

これからも気負わず我が家のペースで家庭教育を実践し娘と共に親として成長していきたいです。

中学2年生・男子

不登校の男子中学生

小さい時から息子はとても優しい男の子でした。友人とのトラブルもなくいつもたくさんの友人が周りにいる男の子でした。

何をさせても何でもできると周りからも言われて両親もそう思っていました。その息子が突然学校へ行けなくなったのが中学2年生の夏前。勉強と親の圧力からどんどん息子は朝起きれない、電車から降りれないくらい学校が怖くなってしまったそうです。

このままでは息子が壊れてしまうと思い、休んだら良い!と、伝えた事で完全不登校が始まりました。

母親の私には毎日悪夢でした。このままではいけないと思いスマホで検索の日々。その頃の主人の表情は殺伐としており優しさはありませんでした。私も痩せてフラフラでした。

その後家庭教育の考え方を学び、マンツーマンの指導を受け復学することができました。

復学から1年経った頃には塾へ行きたい!と言う程成長してくれました。復学直後は最下位だった成績も1年後には下に何十人も居るくらいになっていました。

休みの日は友達と遊ぶ計画を息子自ら練って平等に連絡をして招集かけます。長期休みの課題もなんとか最後の日までに終わらせる様になっていました。そして困ったら自ら友達へ聞き解決している様です。今では困った友達を助けてあげている事もあります。

お世話になった支援の先生、見守ってくださった学校の先生方、皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。まだまだ育児が続くなぁと思っていますが、子どもたちの成長を見守れるのはとても幸せな事だと日々感じています。

中学2年生・女子

不登校から再登校できた女子中学生

娘が復学したのは中2の2学期終了3日前のことでした。とても寒い日だった事を思い出します。約1年ぶりに登校した娘を抱き合って「久しぶり」と笑顔で迎えてくれた友達がいてくれた事を聞いた時はとても胸が熱くなる思いでした。

学校から帰宅した娘のホッとした顔は今でも忘れられません。

幼い頃から活発で自己主張が強く、言葉よりも手が先に出てしまうところがあり常に目が離せませんでした。トラブルがあるたびにお友達に謝り、その度に厳しく叱ってしまう事も多かったと思います。

また気管支が弱く風邪をひきやすかった為、体調を悪くさせないように気を配っていました。今考えると神経質に育ててしまったところも多かったように思います。

家の中では黙って見守る事が出来ず、スムーズに生活出来るよう指示をして動かしたり先回りをして手助けをするような事を沢山してきてしまいました。朝なかなか起きない娘に起きるまで何度も起こしに行く私に、主人が「遅刻しないとわからないのだから起こさなくていい」と何度も言われてきました。

その時の私は遅刻したら娘が困ると思い、なかなかやめることが出来ませんでした。

それから娘は指示をしないと動かない子と間違った考え方をしていた事に不登校になって家庭教育を学び初めて気づく事が出来ました。

体調不良から起立性調節障害と診断され、完全に不登校になってしまいました。どうして行けなくなってしまったのか娘も私もまったく分かりませんでした。

それからというものネットで起立性調節障害のことを調べ、小児科の薬やサプリメント、睡眠外来、カイロプラクティックを試し身体を治す方法ばかりを探していました。
良くなれば行けるのではないかと考えていました。

娘には病気が良くなるまでは学校のことは考えずゆっくりしようと話し学校の話題は避けるようにしていました。友達や家族と外に遊びに行くことも出来ました。完全に家に引きこもっていなかった事もあり、そのうち時期が来れば動き出せるだろうと見守っていた事が余計に不登校を長引かせてしまったのだと思います。

この時期ネットで復学への支援や家庭教育支援があると知りました。少し光が見えた気がしました。それから支援のお力を借り、2ヶ月ほどで復学させていただくことができました。

復学してからはほぼ休む事なく順調に登校しています。

制服姿を見ると復学させていただいた事への感謝の気持ちでいっぱいになります。

友達にも囲まれて、楽しい学校生活を送っています。

復学していなかったらこんな日を迎えられていなかったと思います。

辛い経験でしたが娘が不登校になったことで早めに大事なことに気づくことができ良かったと思いました。今まで当たり前のようにしてきたことが家庭教育を学び娘達の自立を妨げていた事に気づくことができました。

「頑張って学校に行って良かった」

最近娘が話した事です。

一瞬で復学した日の事を思い出しました。
娘がそう思えるようになるほどこの1年で成長したのだと思います。
周りの人に支えられてよく頑張ったと思います。

この言葉を聞き、娘に関わってくださった支援の先生方、学校の先生、お友達すべての方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

これからもこの気持ちを忘れず、家庭教育を実践して親子で成長していきたいです。

高校生

高校1年生・男子

スマホ依存症の高校生

まず息子の気質についてですが、「ゲーム大好き、勉強大嫌い、内向的」といった感じです。

中学時代の成績は下の方、陸上部では県大会、友達は少なく学校ではあまり目立たないタイプでした。

高校受験は普通レベルの公立高校で、合格してすぐに約束していたスマホとPCを買い与えました。するとそれまで制限していた電子機器が自由になったことで一気に依存していきました。

4月は普通に通いましたがGW明けからポツリポツリと休むようになりました。私は怠けだと思って叱りました。ある日、行き渋る息子を無理矢理車に乗せて学校の近くで降ろそうとしました。「ほら、行け!」とドアを開けた時、息子が後部座席でうずくまりました。「ドア閉めて・・・」

それを見て、これはただごとではないと事の重大さに気付きました。

その日から息子は完全不登校になりました。私は毎日ネットで不登校について調べ、息子には何も言わずそっとしておきました。妻は毎日嘆きながら、息子が命を絶ってしまうのではないかと心配していました。

息子は何もしゃべらなくなり、食事は1日1食、風呂は1週間に1回、昼夜逆転でスマホとゲーム、髪の毛は伸び放題で目はうつろ。そんな息子を見る毎日は地獄でした。

一度だけ息子に学校へ行かなくなった理由を聞いたことがあります。息子が語った理由は「友達がいない、勉強がきらい、陸上部に入ったけど全員自分より走るのが速い、遅刻してみんなに笑われた」ということでした。

息子を待つ一方で、高校は3ヶ月ほど休むと留年が決まってしまうため親は焦ります。

褒めまくるという手法を試したり、親が変わるためのDVDを買って勉強したり、カウンセラーに相談したり、全寮制高校の説明会に行ったり、あらゆる方法を試しましたが息子に変化はなく時間が過ぎていくばかりでした。

いよいよ留年が決まる1週間前、ネットで知り合ったお母さんより家庭教育推進協会を紹介されました。

支援開始後まもなく息子の留年が決定して我が家はどん底でしたが、まだ転入という道が残っていました。1週間に1回のペースで息子に少しずつ話をしていき、息子の口から「高校は卒業したい」という言葉を引き出しました。そして留年から1ヶ月後には地元の通信制高校に転入することができました。

これで少しは元気になるかな?と淡い期待をしましたが、そこからがしんどい見守りの日々の始まりでした。

転入後も息子は通学せずスマホ・オンラインゲーム生活が続き、ある日私は見守るストレスが限界に達してしまい、家のWifiを取り上げようとしました。すると坂下先生に強く咎められました。

「お父さんが彼を理解しようとしないままでは、彼も親を受け入れません。Wifiを切ったら諦めて学校へ行きますか?行ったとしてもそれは誰のためですか?」

結局私は息子をコントロールしようとしていたのだと気付きました。自分では見守っていたつもりが、見張っていただけだったようです。

それからも毎日のように息子の様子を報告しアドバイスをいただきました。普段は学校側とも連携しながら見守り、ここぞという時は父性対応の家族会議。妻も母性対応をがんばってくれました。息子は1→2→3年と落ちそうで落ちない綱渡りのような進級をしていきました。

3年生になると学校の単位のことも自己管理できるようになり、無事認定をもらい専門学校へ進学しました。

家庭教育は親としての私を成長させてくれました。息子だけでなく娘に対しても見守っていけそうです。本当にありがとうございました。